青の巨塔。

段ボール肉まんのような人生を送って参りました。

 


中学一年の一学期には委員会なるものの担当者を決める会合が開かれる。つまらん会合である。

学内の実績も他生徒の人格すら何一つ情報がない状態で誰が学級委員になるかを決議するわけだ、当然ニキビ面の青いキッズ達にとってそれは義務教育の無駄遣いであり生産性のかけらもない時間であったわけである。

 


「学級委員をやってくれないかしら。」

「あなたしかいないと思ったわ。」

 


ニキビ面キッズ12号の私に当時の担任がそう言いよって来たことはよく覚えている。

 

 

 

教員の方々の中ではおそらく、大方この会合が非合理的なものになるとは想定の範疇であり、そこで小6から中学に上がるタイミングの引き継ぎか何かで学級委員をやってもらいたい生徒に目星をつけているのだとか。

 

 

 

 


お母さん。あなたの息子はなんと学級委員に推薦されました。誇りに思ってください。

 

 

 

 


小学過程を終えるころ、私は学級委員を依頼されるほどには秀才であったということなのだろうか。そんなことはどうでもいいことだが、当時の私は放課後に郊外のサッカークラブに通う必要があったため、そのいわゆる学生会的なアレの会合には出席出来兼ねますけどもよろしいですか?

「それでも私はやってほしいわ。」

そういった流れ・条件のもとクラスの学級委員長を引き受けることにした。

 


私はやはり当然のことのように学生会的なアレの会合をさぼりまくっていたのだが、クラブが休みの日に一度出席してみた際には、

その頃学年全体で少年自然の家的なところへ合宿のようなものに行くことになっており、

その上で我々中学生はどのような目標を立てそれに臨むべきか?といったなにやら小難しいアジェンダで会合が進行していた。

 


意見を求められたので私は、

"あいさつをしよう"と答えた。

 


中学一年生が民泊を使用することにあたって、あいさつをすること以外に重要なことなどあるのだろうか??

 


そう思っていたのだが、私などとは全く違う、いわば比べ物にならないほど優秀で真面目である他クラスの学級委員長らに、

あいさつすることなどは至極当然である。

そんなことを目標にしてどうするのか?

などとぼこぼこのボッコボコにされるわけである。

なんと可哀想な私。

あいさつって大事なんだぜお前ら。

友達ができることだってあるんだぜ。

 


要するに会合をサボってサッカークラブなどに通っているマヌケは学生会というなんとも高尚な場に立ち合わせる資格などない。なんとはらだたしい。しゃべるんじゃない。といったなんとも迫害じみた扱いを受けたのである。

 


またその迫害に付随し、学生会を牛耳っている学年長(よくわからんがおそらく一番偉い.偉そう)であったKBT先生から目をつけられるようになり、なにかとつけては絡まれ続け、それはもはや学生会的なアレ以外の私生活にも介入してくるほどにねっとりと私と学生LIFEを侵食していったのである。

 

 

 

わけイキっても

わけイキっても

青いガキ

 


種田山頭火(自由律俳句)

 

 

 

 

 


中1の私はといえば思い返せば返すほどイキっていたのだ。

 


とにかくシャツを出しイキりたかった中一の夏。

シャツを出しても出してもなお出したりなかったあの夏。

 


学年集会。(1学年全員が体育館に集められ体育座りをするためのイベント)

あろうことかズボンの縁から一部シャツが出てしまっていた私にKBT先生が

おい。シャツ。

白々とした眼光でそう言った。

 

私の学校では夏服はシャツをズボンにinすることを校則で規定されている。


私はイキることに長けていたはいえ、教師に反抗するなどという非合理的な行いをするようなイキりはき違えた子供ではなかったため、無抵抗にシャツをしまいなおした。

 


するとKBT先生がなにやら私の前(この時学級委員長である私は列の最前で体育座りをしていた)へとのさのさと歩いてくるではないか。

見上げてみると股間もっこりとしている。

顔も大きいしなんだかこわい。

 


KBT先生は

おい。立て。

白々とした眼光でそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

彼は私に期待していたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

静まりかえった体育館。

 

皆が注目する中1人立たされKBT先生にズボンを脱がされたあの夏。

 

 

 

 

 


パンツはギリギリ脱げていなかったけども。

 

 

 

 

 

 

右っ側の球が半分に割れるくらいのアゲパンをくらったあの夏。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は決して忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

  

あの夏よりも怖いことなどないのだから。

 

 

 

 


ありがとうKBT先生。

立派な大人になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後中学生活で私のあだ名はアゲパン野郎にはならなかった。

いや、影で女子達にはそう呼ばれていたかもしれない。そんなことはどうでもいい。

あれは半ば強姦のそれだったのだ。

人はいつしか強くならねばならない。そう思う。

 

 

 

以上、中一の記憶である。

今宵もご精読ありがとございました。

 

 

 

 

さて、なんだか今日は暖かい。

皆様は元気でお過ごしでしょうか。

 


今日は同級生の専攻科過程の卒業式でしたね。

おめでとうございます。次はおそらく大学院生活が始まることとなるのでしょうが、引き続き楽しそうにお過ごしください。

皆様方のご検討お祈りしております。

 

 

 

 


アデュルバイジャン