鼻孔と備荒。
鼻の穴を人に向けるとよくないという話。
私は、とことんといって
特別な理論、哲学、人の内に秘めたる武器の様な思想においてはひたすらに隠さなければならない、隠すべきなのだと思っているわけだけれども
今回は長期に亘り執筆を行わなかったという贖罪として、一つ私が特に大切にしてきた、特別な思想を述べてもいいと考えているのだ。
書店で1780円税で売られている、角で人を殴りつけるために創作されたと思われる啓発本
などにある一説の様なものではない。
啓発本の一説様なものとは、たとえば、一億円の資産形成を成したければ他人より朝一時間早起きべきだとデカめのフォントで表紙に書き綴った様な硬くてデカいあれのとこである。
鼻の穴を人に向けるべきではないのだ。
鼻の穴を人に向けていると、鼻の穴を下から突き上げられたり鼻の穴にこっこりと入られたりと困った事態に陥ることが多いのであるまったくもって。
簡潔に述べると、鼻の穴を人に向けている奴は簡単に舐められたり、漬け込まれたりするという意味なのだけれども。
足元を見られる
足をすくわれるといった諺があり、
弱みに漬け込む。搾取されるなどという意味では、すでに先人らにより歌われてるではないかと批判を喰らいそうではあるのは理解できる。
これはまさしくそんな話であると断言できよう。
ただ、鼻の穴を人に向けてはならないと私が解いていることについては、抽象的なそれらに対しより具体的で現実味のある話であるということではあるのだ。
私の7割の感覚と、2.5割の偏見、
0.5割の揶揄をもってして人々を見てみれば、
それは優秀であったり、ある人に言わせればかっこよく、世を馳せるタイプの人間とは、いずれも皆、
ちゃんと鼻の穴を隠しきっているのは間違いないのだ。
逆に言えば、何か情けなく、威厳というものを感じられない、ある人からはつまらない奴とかダサい奴だとかと言われる人間はとにかく鼻の穴をこれでもかと、何時だって人様に向かって曝け出しすぎてしまっていることは、24年も生きていれば当然のことの様に見えてくるものなのだ。
最近何故か調子がわるいんだ。
運がないんだわたしには。
バチボコ動揺している様なんだ。
その様なことを感じるときに、限りなく言えるのは、
恐らく貴方は鼻の穴を隠すことができてないのである。
この世のあらゆる悪意や欲望が貴方の鼻を突き上げているのだと言えよう。
人々、世界の前に黒々と露出してしまった二つの孔、ある種具現化された貴方の弱点を彼らが見逃すこはないのであろう。
もしもこの記事を講読した優秀な方々が
最近調子がわるいんだ。
運がないんだわたしには。
とくだらない悩みを感じているのならば、それは鼻の穴が人に向いてしまっているだけなのだから、まず鼻の穴人に向けるのはやめときましょうよ。
この重大な事実を、知らなければ高度な駆け引きができない。
有馬記念を羊とかラクダとかに跨って、走ることの様なものである。
私は、小学四年生のころには、鼻の穴の重要性について察知し始めることになるわけだが、その頃から鼻の穴だけは死守することに努めてきている。
これはまさしく、"鼻の穴攻防戦" なのである。
確かに、ここまで読んでみても全く意味不明ではないかと、怒られてしまう可能性があることにも理解を示しているわけだから、少し分かりやすい例えのようなものを記すことにする。
本を読んでいる男性は、知的そうであるとか、
落ち着いてみえるだとか、挙げ句の果てに少しだけかっこよく見えるだとか耳にすることはあるのだが。
確かに、知識を蓄えることはすばらしく、知識を蓄えた人間ならではの良い雰囲気が存在することはわかる。
しかしながら私に言わせればこの事象こそ今回記した理論の真髄なのではないだろうか。
本を読んでいる際、少し俯いた顔の角度。
その角度こそ、絶妙に鼻の穴を隠しているのだ。
もはやただ物理的に鼻の穴を隠しているだけで、何物もつけ入る隙を与えないという風になっているのだ。
助平な奴が、助平なことを考えながら本を開きただ文字を追っているだけであっても
それこそ知的そうだとかなんだとか言われる可能性すらある。何故なら彼は助平であろうが鼻の穴をしっかりと隠し切っているのだから。
会社の幹部とか、何処かとても凄みのある人間と対峙した刹那、わかっていても不意に鼻の穴を突き上げられることがある。
誰であろうが鼻の穴だけは向けてはならない。
鼻の穴攻防戦を制したものが絶対的に偉いのだ。
明日からというもの、最後まで精読いたただいた勇気ある方々の人生はきっと明るい。
鼻の穴を向けている人間等をみつけてはついつい、下から突き上げたりしてみるのもいい。
会社の役員と鼻の穴攻防戦を繰り広げるのもいいだろう。
鼻の穴を人に向けてはならない。