三日スキンヘッドの優位性。

ブログを書き始めはや3日が経った。気分はいい。視界も良好である。足も臭くない。

実は昨日友人から投稿を心待ちにしているとの賞賛の声を頂いた。

いつか本を出してほしいとのLINEも頂いた。

いや嘘ではない。この事実はひたすらにただ嬉しい。

足が臭くなるはずがないのである。

 


私はなんといい友人を持った事だろうか。皆のことが大好きである。

 

 

 

ジャイ○ンは言った。「心の友よ」と。

 


『心の友』

 


なかなか良い感性と表現力を持ち合わせたいじめっこではないか。

正味11歳の子供であるにもかかわらず、土管をステージするという創造生。

近所の子供逹が丁度よく収まるサイズの公園をリサイタル会場に選定するというマネジメント力。

数多くの子供逹をリサイタルに招き入れる事のできる人脈及び行動力。

圧倒的歌唱力。

鍛え抜かれた肉体。

がき大将と自負できるまでに卓越し磨き上げられた戦闘技術。

強さを象徴する黒光りする皮膚。

そしてなんといっても、あれほど主人公をいじめてもこのご時世のいわゆるコンプライアンスを掻い潜り、ゴールデンタムから追放される事がないほどに大衆(視聴者)の心を掴むことが出来る人間性

この“人間性“についてはまたいつか話しをするとしよう。

 


付け加えテスト返却日には間違いなく主人公を罵ることが出来るほどには秀才で高い知能を持ち合わせている様に見て伺える。

 


また彼の実家は野菜ビジネスに着手しておりそれに加えて常日頃から金持ちの子分を従えている。つまり経済力においてもこの歳でその才気が垣間見えているのだ。

 


あるエピソードの中では彼の実妹であるJAI子を泣かせた奴は殺すと断言していたこともありそれは端的に彼のそこ知れぬ愛を示しているのだ。

 


「お前のものは俺もの・俺のものは俺のもの」

 


「のび田のくせに生意気だ」

 


このいわゆるジャイアニズムとは彼が提唱したこの世に存在する唯一無二・究極の理論であり、真の強者のみが発言を許されものである。

これらの有名なある種の元も子もない差別的・エゴイズム的言動には彼の壮絶な生い立ちが関係しており、社会的地位や厳格な階級性が存在することは容易に想像ができる。

 

 

 

 

 

 

 

やはり女として生きているのであればこの様な男になら抱かれてみたいと思うものなのだろうか。

 

 

 

 

さて努力しない三日坊主のメガネの少年は今直ぐにでも自身の立場を省みる必要があるのではないのか。努力もしない人間が主人公だからといってヒロインの心を射止める事ができると思ったら大間違いである。世の中はそれほど甘くはないのだよ。

うん、少し厳しいことを言いすぎた気がする。すまない。

実を言うと私はのび田のことが大好きである。小学生の頃から私は彼の検討を祈っている。

やはり国民的アニメの主人公が大学生になった途端、いやあるいは高校に進学する頃には、“し○かちゃん“はジャイ○ンの様な優秀な男に”静かでないし○か“にされる様を指をくわえ観ておくことしか出来ないのはなんとも心苦しいではないか。

 


*ちなみにのび田が主人公である様に前記してあるが、正直なところドラえ者とのび田どちらが主人公であるかその様な知識は持ち合わせていない。知見がある方は出てきてほしい。カンバセーションしよう。

 


フェリス・シルヴェストリス・カトゥス型自動機械(猫型ロボット)系アニメのキャラクターの話をしたかったわけではないのだ。

ブログ3日目という事実に付随させいわゆる三日坊主の話しをするつもりだったのである。しかしながら、ここは私の世界である。

我が術中。

そう三日坊主を象徴する国民的アニメの主人公の話で取りまとめたことで

今回の主題へと紐づけたのである。

この展開には私も驚いた。

 


しかしながら今から三日坊主の話を書くとなると少々体力を要することになるわけだ。ただそれは読者の皆様にも言えることなので、ここからは私のことを愛して止まない人だけのために書こうと思う。読んでくれると嬉しい。

 


どうやら三日坊主とは厳密に72時間とあることを継続出来なかった人のことを指すわけではないらしい。つまりここでいう3日とは、短い時期と言う意味であり私が4日目のブログを更新したからといって私は三日坊主ではないのである。なんて記事を書き残す事が出来ないということなのだろう。

ナンセンスである。(non sensu)

3日という時間を揶揄として用いただけで、定義化していないのだ。

これならばイチローに向かって三日坊主め。などと叫んでいる金髪のホストを町で見かけたとしても、背後からラリアットやジャンピング・ニーをかますことはできない。

 


そこで私の言うところの三日坊主とは、何かを始め3日間継続できたか否か、といった明確な基準を定義しようと思う。きっとそのほうが良いに決まっているのだ。

『あなたは三日坊主ね』と言われると基本的にはネガテブな意味として受け取られる様であるが。

私はこういう「冷酷なる」表現にも良いとことがあると考え始めている。

 


22年もこの世を生き抜いてきた私に言わせれば、三日坊主とは誠に優れている事なのだ。

 


3日も何かを継続しようと志していたのだから。

 


この世で3日継続することがどれほど困難であることか。 

 


そして彼らは坊主なのだ。

 


ああなんと可愛らしいことか。

 


三日坊主と罵られ悩んでいるそこのあなた。三日坊主と自覚があるのにも関わらず三日坊主であり続けるそこのあなた。

坊主になり3日目のあなた。

落ち込む必要などない。私が保証しよう。

君達は素晴らしい。

3日に満たないまでも自ら行動したのだ。

羽ばたく方向を多少見誤っただけの話である。ジャンルを変えれば良い。

三日坊主になり続ければいい。きっと良くなる。

ぜひ志を持ち続け、また様々なことに挑戦し励み続けてほしい。

本当にそう心から願っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし最後に一つ重要なことを書き残しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“物事は長く続けるに越したことはないのである”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


付け加えて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


“三日坊主はクズである”

 

 

 

 


“スネ男と出来過くん以外は基本的にクズである”

 

 

 

 

 

 

以上、今宵もご精読ありがとうございました。おやすみなさい。

アデュ